北川透「扉を開けよ、不眠の鳥よ 朗読しないための朗読詩の試み」(「詩論へ」第1号、首都大学東京現代詩センター、2009年3月)

「まだ一行の詩も書けていないのに」。これが詩の一行でないとしたら、一体何だというのだろう? 詩について語れば語るほど、詩が遠のいていくというジレンマ。しかし実は歌い手は、詩とは何たるかを確信しているに違いない。だからこそ、ちゃかす。詩なんて誰にもわからないのだ、という振りをして、あえて詩とは何かを混乱させようとしている。真実はことばの向こう側にあり、しかし詩のことばは歌われた世界に真実をもたらす。「わたしは十日間で一万行の詩を書いて、/大詩人になるつもりだったのに」とは、歌い手の本心であり、戯れごとでもあるのだろう。