大切なもの(2)

 以前、大切なのは「思いやり」なんだよなあ、というようなことを書いたが、その根底に必要なのが「想像力」で、それがなくちゃ相手のことなど考えられない……なんてことを漠然と考えていたら、ちょうど、作家の村田喜代子が同じようなことをある対談で語っていて、我が意を得たり、という気がした*1

 文学を読むことは「追体験」なんですね。かつては文学全集とかで、みんなが同じ物語を読んだ共通体験がありました。それぞれが物語の主人公になったような気持ちになりました。
 その「想像力」が文章を書くときにも生きてくるのです。想像力は「思いやり」でもあります。不特定多数の人に自分の文章を理解してもらうために、どうすればいいかと想像を巡らせる。その源が思いやりなのです。(「西日本新聞」2008年8月3日)

 さすが村田喜代子、いいこというね。
 「想像力」ってすごいよね。だって、その力を持ってすれば、自分は部屋のなかにいながらにして時間も空間も飛び越え、自分以外の何者かになることができるんだもん。
 いつも思っているんだけど、文学作品を読む際には、フィクションをどうリアルに読めるか、ということが重要。そのためには、この想像力が不可欠である。そして、その「想像力」が「思いやり」と密接に関係しているということ。相手のことを想像して「思いやる」ことは、自分が「文章を書くときにも生きてくる」ことであり、じつは自分のための行為でもある。

*1:これぞまさしく「シンクロニシティ」。