『アバター』

 昨日、3Dの字幕版を、シネプレックス小倉の21時00分からのレイトショーで観る。シネプレックスは、こちらのページによるともっともオススメの3Dの形式らしい。
 メガネを装着し、『トイストーリー』の予告が始まると、会場内から感嘆の声が。たしかに立体的にみえるのは新鮮。でも冷静に考えてみると、この手の3Dって、小学館の「小学○年生」とかでよくあったアレだよね。その意味では新しくも何ともない。
 最初、3Dメガネ対策に着けていった使い捨てコンタクトのせいもあって、ずいぶんと眼が疲れた。また、そのためか、かなり眠かった。でも途中、森に住む動物たちが動き出してからは、その眠気はどこかへ吹き飛び、ついでに眼の疲れも忘れてしまった。
 3Dはたしかに楽しかったが、上映中1箇所だけ、画面からモノが飛び出してきて条件反射的にビクッとなったところがあったものの、それ以外は必須というわけじゃない。実は、3Dじゃなくてもけっこう楽しめそうな気が。でも、3Dであることでそれなりに楽しめたのも事実。まあ、3Dじゃなくてもいいけど、3Dだったらより楽しさが増す、というところか。この3Dでぜひ『ジュラシック・パーク』を観てみたいなあ。

 やっぱり素晴らしかったのは映像。今までアニメーションでしかできなかったことを、CGを使ってやった、という印象。アニメーションとは全然リアリティが違う。スケールの大きい自然、機械&動物たちの動きの機敏さ、どれも迫力あって秀逸。映像を楽しんでいるだけで3時間が過ぎてしまう。それだけでも2000円払う価値あり。

 以下、ネタバレ注意。




 内容のほうは、植民地支配、および科学対自然がテーマで、かなり古典的。そのテーマをそのまま受け取るとイマイチだが、むしろ現実と仮想現実の話ととらえると、もう少し楽しめるかも。
 仮想現実のなかにも、社会があり、生活がある。作中、主人公が「何が現実で、何が非現実だか」といったことををつぶやく場面があるが(セリフは正確でない)、その主人公は最後、現実(そこでの彼は足が不自由)を捨て、思う通りの自分として生きられる仮想現実で生きていく決意をする(そのように決心したのは足のことだけが理由ではないが)。映画のなかでは、その仮想現実はあくまで「現実」として描かれているが、この映画が全編CGを駆使して成り立っていることを考えると意味深い。やっぱり主人公が現実と信じたものは仮想現実に過ぎないのだ。
 昨年、『ネトゲ廃人』という本が話題になった。この本のタイトルからうかがわれるように、今、ネット中毒(特にオンラインゲーム中毒)が社会問題のひとつとなっている。その「廃人」たちは、現実から完全に乖離することができず、だからこそ「廃人」になっていくのだが、近い将来、完全に現実を捨て去り、仮想現実を自分の生きる現実にする人たちが出てくるのだろうなあ。いや、もう出てきているのかもしれない。この映画が示しているのは、そのような生き方を選択したひとりの人物の生である。
 このようにテーマを読み替えて観ると、この映画の内容はほんの少し楽しめるようになるのではないか、と思った。ただし、こうした現実−仮想現実の問題も、すでに多くの作品で描かれているのだ。ぱっと思い出すのはアニメやゲームなどでメディアミックス展開された『.hack』。また、花沢健吾ルサンチマン』なども思い出されるところ。
 まあ、CGを活用したアクションを楽しみましょう。それだけで十分面白いから。